摂津高山を訪ねて思う

−高山右近の先祖と幼少年期を探る−

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目 次
はじめに
コースの説明
川尻向井山の石造物
高山の聚落に入る(高山の地勢)
高山マリアの墓
住吉神社
高山高札場跡
西方寺
高山城跡(城とは名ばかり)
高山氏の出自
高山飛騨守
高山右近の高山時代
関連年表
参考文献
あとがき

はじめに

高山右近は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて近畿や北陸などで活躍した武将で クリスチャン大名としても有名である。右近に関しての研究、文献や歴史小説などは数多くある。 しかし、天正2年(1574)に21歳乃至22歳(注1)で大阪府高槻市にあった高槻城の城主となり、慶長20年(1615)2月4日にマニラで殉死するまでの華々しくも波乱に富んだ人生の記録に比べて、 幼少の頃はあまり判っていない。摂津国三島郡高山[現、大阪府豊能郡豊能町(とよのぐんとよのちょう)高山]で生まれ、永禄7年(1564)に12歳前後で、 松永久秀の配下として沢城(奈良県宇陀市榛原区沢)の城主となり既にクリスチャンの洗礼を受けていた父の飛騨守(霊名ダリオ)によって受洗されてジュストという霊名を与えられた。 翌年13歳前後の時に三好の軍勢に沢城を落とされたために、4年間、父や家族と共に郷里の高山庄に帰ったことが判っているくらいである。こういうわけで、 少しでも右近の先祖や幼少年時代について新しいことが判ればと、右近の生まれ故郷「高山」を訪ねてみたいと予てから思っていた。
幸いにも、平成25年7月17日(水)に「大阪シティアカデミー(注 上記タイトルのバナーをクリック)」主催の 「高山右近生誕之地北摂は高山を探る」に参加する機会を得て探訪の念願が適った。 本書は、自分なりの考えを交じえたその探訪紀行である。

注 1: 海老沢有道著『高山右近』によれば、「高山右近の幼少年期については資料が少なく不明な点が多く、生年についても日本側の史料に所見がなく、外国側資料でも 一致しないが、天文21年或いは天文22年(1552・3年)頃と推定する。数え・満のかぞえ方で、これ以上の断定はむずかしい」と述べているので、ここでは高槻城主になった年齢を21歳乃至22歳とした。
但し、フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が日本に伝えられた3年後の天文21年(1552)に生まれたという記録があるので、これによれば22歳で城主になったことになるが、こういう諸説があるので、 諸本では諸般の出来事の年齢を「22歳頃」と「頃」をつけて云う場合もある。

平成25年9月15日  山村 裕 記
Creating : Jan 4, 2016