平清盛と経ヶ島

−経ヶ島建設が与えた神戸市の発展を考える−

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目 次
はじめに
摂播五泊の制と大輪田泊
経ヶ島築島の目的
経ヶ島という名の由来
松王丸の人柱伝説
経ヶ島建設時期
経ヶ島の仕様
おわりに
付、湊川の変遷

経ヶ島の建設時期

清盛が経ヶ島を着工した時期について、昔の書物では幾つかの違った記述が見受けられるが、近代になって統一ということでは無いにしても、 説得力のある承安2年着工説が、神戸史談会編『源平と神戸―福原遷都から800年―(神戸新聞出版センター、1981)』の中で述べられている。以下に、内容を要約して記す。

〈すなわち、清盛の築島の着工時期について諸書は、

・応保1年(1161)としているもの=
『一方系平家物語』諸本,『築島寺縁起』
・承安1年(1171)としているもの=
『浪速叢書』
・承安2年(1172)としているもの=
『源平盛衰記』,『皇代記』,『玉葉』
『一代要記』,『皇帝紀抄』,『歴代皇紀』
『古今著聞集』,『元享釈書』,『百錬抄』
     
・承安3年(1173)としているもの=
『延慶本平家物語』,『長門本平家物語』
『帝王編年記』,『歴代編年集成』
『和漢合府』,『神皇正統録』
『参考源平盛衰記』,『大日本史』
『如是院年代記』
 
 
上記の承安2年説に書いた『玉葉』、『一代要記』、『皇帝紀抄』、『歴代皇紀』、『古今著聞集』、『元享釈書』、『百錬抄』は、着工を承安2年と明記していないが、 この年に、清盛が輪田浜で後白河法皇の参列を願って10月15日より17日までの3日間にわたる大規模な千僧供養を挙行したと記している。その目的は多種であっても、 この場合は築島工事が無事に行われることを仏に祈願したことを意味しているものである。今日で言うならば地鎮祭を行ったと考えられる。
更に応保1年は、平治の乱の翌々年であり、また清盛が参議に任ぜられた翌年であり、検非違使別当、近江権守及び権中納言に任ぜられた年で、 私財をもって自力で工事を行うだけの力はなかったであろう。これに比べ承安1年は彼が太政大臣に任ぜられてから4年後で経済的にも安定している。この安定した時期に、 上記のように経ヶ島築島の地鎮祭ともいうべき後白河法皇を招いての千僧供養を行った承安2年説が正しいのではなかろうか。〉
Creating : Jan 10, 2012