平清盛と経ヶ島

−経ヶ島建設が与えた神戸市の発展を考える−

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目 次
はじめに
摂播五泊の制と大輪田泊
経ヶ島築島の目的
経ヶ島という名の由来
松王丸の人柱伝説
経ヶ島建設時期
経ヶ島の仕様
おわりに
付、湊川の変遷

はじめに

概して言えば、平氏は源氏と較べて何かにつけて評判が悪い。中でも、平清盛は平氏の棟梁として権力を欲しいままに悪行の限りを尽くした悪玉と思われがちである。 これは彼の伝記が、『平家物語』を始め、勝者の源氏や彼から既得権を奪われた公家や僧侶の筆によるものが多かった為であろう。しかし、戦後になって客観的に清盛の人物像を見直すようになり、 結果として好意的に見る書物が多くなっている。例えば、歴史学者・元木泰雄氏の『平清盛の闘い―幻の中世国家―』や同じく歴史学者・五味文彦氏の『平清盛』などがそれである。中でも、元木泰雄氏は、
〈 清盛は貴族社会の真っ只中にあって、院政の否定、天皇擁立、遷都といった王権の本質に果敢に取り組み、 さらに貴族政権の改革に立ち向かって中を切り開こうとした先駆者である 〉
と評価している。

神戸港の衛星写真
(1図)神戸港の衛星写真
観点を変えて神戸港の歴史を考える中で、恩人としての清盛の存在を抜きにして語ることは出来ない。「大輪田泊(おおわだのとまり、 現在の神戸港の一部である兵庫港)」を改築するに当たって旧兵庫の町が築かれ、これが現在の神戸港(1図)になって神戸市発展の基礎となったからである。

故司馬遼太郎氏は『街道をゆく』で、
〈 平清盛は経正家としては頼朝以上の人物だったろう。彼は海運を盛んにし、対宋貿易をもって立国しようとした点で、 日本最初の重商主義の政治家だったといっていい。 〉
と言っている。

また、関西国際空港社長・土木学会会長などを歴任した竹内良夫氏は『港をつくる』で、
〈 港湾の視点からみれば、彼の行った数々の土木事業は評価できるもので、新しいイノベーターであった。 〉
と述べている[筆者注。経ヶ島(きょうがしま)の建設、厳島神社の海上建築、伝説による音戸の瀬戸(おんどのせと、呉市)開削]

これを以てしても、再評価された清盛を知ることが出来るのである。
 
そして今、高度経済成長期以降、神戸市は「山、海へ行く」を合い言葉に、六甲山を削り、その土砂で海を埋め立て、ポートアイランドなどを造った。 土砂を削った跡地は、住宅地や産業団地として開発された。

『長門本平家物語』に云う
〈 経ヶ島築かれたりし事、・・・・船も留り家なども出来、日月星宿の光、明々<として蒼海の眺渺々 (びょうびょう)たり 〉
と。正に、経ヶ島は規模こそ小さいが、当時のポートアイランドである。
平成24年1月5日  山村 裕 記
Creating : Jan 5, 2012